ボーボーママの在宅ライター備忘録

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嫌われる勇気という言葉をよく見かける

 

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「嫌われる勇気」。最近テレビや本屋さんでよく見かけます。読んだことはありません。

そういえば幼稚園の頃から人に好かれようと思っていたタイプだったので、嫌われてしまったんじゃないか…。って悩んでいたことも多かった。はずなんだけど

 

ふと気がつけば嫌われることに対して抵抗がなくなっている。

 

嫌われないように最善の注意を払っても、本能的に嫌われてしまうこともあるだろうし、どんなに頑張っても仲良くなれない相手は誰だっている。

 

しかも嫌われないように最善の注意を払っていた頃、友達にそのことを話すと、「ずけずけ言うからそんなこと考えてないんだと思ってた」とも言われた。

 

私の場合、嫌われない努力ってあまり意味がなかったのかも。

そんなことを思い始めたのは中学生のときだった。

 

良い意味でも悪い意味でも、目立っている人は評価も批判もされやすい。中学生のときなんかスカートの丈が短いだけで、怖い先輩に囲まれることもある。

そりゃ…。パンツが見えるくらいの短さなら不快感を与えてしまうかもだけど、だけどよう。膝が見えるか見えないかくらいで、もちろん先輩よりは長いスカートなのに、なんでグチグチ言われなきゃいけないんだろう。

グチグチ言ってくる先輩が風紀委員とかならわかる。でも実際、そうじゃない。

 

私なんか地毛が茶色くて、染めてるんじゃないか?とも言われた。

先生も「もし気になるなら黒染めしてもいいよ」って気遣って(?)くれたけど、

なんで わざわざ 先輩の目を気にして染めなきゃいけないんだ!!!

と、なるのが当たり前の感情で、逆に明るく染めてやろう!と思った(その結果、黒染めは強制的に行われる)。

 

この場合、グチグチ言っていた人達もその時の一瞬の感情で言っている。

知らないうちに通り過ぎていく感情だと思う。

しかも、この発言にクヨクヨしてしまったら、余計に目くじら立てて囲んでくる。

そういうことが多かったから、内心悲しい気持ちもあったけど、いじわるを言ってくる人の前では絶対に悲しまないようにしておこう。なんともないですよへっへーん。くらいの態度でいよう。

 

その態度を貫いたら自然とほとぼりは冷めていった。

 

 

今でもたまに、あることないことを言われてもやもやしてしまうことがある。意見であれば直接的に言ってもらえるけど、悪口は面と向かって言われることはない。(それも余計にむかむかするんだけど)

 

自分が決定的な悪意を持って何かをしてしまったり、自分の常識や価値観で迷惑をかけてしまったら、悪口を言われても嫌われても仕方ないと思うけど。(って、常識では迷惑をかけることはあっても、価値観は各々のポリシーに近いしなぁ…)

そうじゃない場合だいたい暇つぶし。大して面識のない人なら暇つぶしというか、趣味に近い。

誰かに身に覚えのない悪口を言われたり、嫌われてると感じたときは、暇つぶしに使ってくれてサンキューベイベー!って心の中で唱えるとスッキリするよ。お試しあれ